そうでもなくない?


キョーゾン。キョーセイ。
共存。共生。



人間が「ありゃ。みんな違うなあ。」って実感したら、
次、どーする?排除しあうか、共存を試みるか、
なんやろかね。



長らく、
数人の指揮官の判断を元に、大勢の人間が従い動き、何かを生み出してきた。
そりゃー凄まじい技術の進歩。法律の整備。知識の蓄積。安心安全な棲み家。
一杯、手に入った。一部の人間だけど。
しかし、大集団を極めたら、今度は無理も出てきたよね。



"個人がありのままでは生きづらい世の中"、ってなもんよ。
ありのままを、自分で認めたことがない人が、
他人をありのままで認められることなんか、なさそうだね。
従う人は従いたくなくなる時がある。
指揮官はひとつの判断ミスでメタメタに叩かれる。
不意に涌き出る怒り、突然こぼれ落ちる涙にも、ちゃんと理由がある。



 そんでもってさ、在るものもないことにしようとしてたんだよね。
だから蓋をしてたら、その在るものが「もしもーし、在るんですけどー」って、
蓋をノックしている今の時代。
これ以上無視出来ない感じにノックの音が大きくなってきとる。



みんなが気持ちよくいきられるのはどんな社会やろ?
そして、それ目指すまでにどんなことになるんかいな?
個人的には、ワクワクするけどなあ。




共存→ケンカしない。一緒にいることができる。

共生→助け合って生きている。片方がいなくなるともう片方は困る。




わお。個人的には共生、目指したいなあ。
変化はさ、楽しい面もあるし、キツい面もあるんやけど、
出来たら、わたしは人間が滅びて欲しくないからなー。











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