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7月, 2018の投稿を表示しています

懐中電灯

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子どもたちの懐中電灯遊び。 「写真撮って~」って言うから撮った。 ■1枚目:ふたつのおつきさま(次男作) ■2枚目:目玉焼き(長男作) その発想の楽しいこと! おもしろくてしかたがない。

何を望んでいるのか

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1日の終わり。 海に連れていってもらった。 心が満たされて、穏やかになった。 今日は、例えば 新作デザインの服 期間限定メニュー 建物のリニューアルオープン 顔面に貼りつけた笑顔 そういうものに、 特にうんざりする日だった。 血が通う日常の会話や、 命の在り方の前で、 それらは慌ただしく、つまらない。 例えば言葉。 リップサービスは簡単に出来るよ。 でも、それをする度に、 心が渇き、枯れていくように感じる。 ねえ、何度、めんどくさくて、 何度がっかりして、何度恐くて、 その場しのぎのためだけに リップサービスを重ねて、 死んだ言葉を放って、 何度、相手と自分を粗末に扱ったの。 何度、相手と自分の心を枯れさせたの。 それでもさ、自分で自分に言うよ。 「よしよし、辛いね。寂しいね。 渇いても、私があなたに水をあげよう、何度でも。 だから、諦めずにやってごらん。 だって、望んでいることがあるね。 望まないという選択肢があるのに、 あなたは望んでいるんだよね。 あなたの望んでいることは、なあに。」

"また、どこかで出会ったら"

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ある日の会話から。 パパ「長男くんが小学校にいって、どんどん大きくなって、パパになっていくやん。」 長男「うん。」 パパ「パパはどんどん、じいじになっていくやん。」 長男「うん。じいじはいつまでじいじ?」 パパ「じいじは、どんどんおおじいじになっていって、いつかお星さまになるねん。 そんで、また誰かのお腹の中に入って、 赤ちゃんになって、生まれてくるんやで。」 長男「じゃあ、パパとかママとかさ、しんでさ、そのあと、お星さまになってさ、あかちゃんになって、保育園に入ったらさ、"ここだよー"ってさ、教えてくれる?」 ママ「おう。また会ったら、その時は、どないかして伝えるから。また会ったら、仲良くしてな。」 パパ「せやな。その時は、今度は長男くんがパパで、パパとかママとかが子どもかもしれんな。」 長男「うん!」 "また、どこかで会ったらね"。 そんな約束をできるなんてうれしいな。 もし長男が忘れてしまっても、うれしい。 そしてそんな話をする夫のことも、 ますます愛しく思いました。キャッ。 長男が「撮りたい!」と車から撮った、 夕焼けの写真。

そんなのはいやだ

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この歌詞は、 いつ見ても胸が熱くなる。 情熱がわき上がる。 そうなんだよ。過ぎ去るし、消える。 だからこそ。

朝の散歩

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パパと次男が起きないので、 長男と朝から買い物へ。 二人ででかける機会は珍しい。 たくさんおしゃべりしながら、 楽しいひとときになりました。 「昨日のあめくもは、 かみさまがやっつけてくれたんちゃん。 だからこんなあおぞらやでな。」 という、長男の意見。 暑かったね。 また、行こうね。

私の中に見つけられたから

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今日の帰り道、雨が少し降ってきた。 酷暑が続いた数日間。 本当に久しぶりの雨だった。 ふいに5才の長男が、 「わあ、優しい雨だねー」と言った。 それ、とっても素敵な表現だね。 ママ、大好きだなあ。 と言うと、はにかんで笑っていた。 そういう、日常の中の感動を、分かち合えること。 かけがえのない喜び。 日常の喜びと言えば、もうひとつあった。 今日、妊婦の私に、 職場でいつも 「産むときは大変やけど、ええ子を産んでな。」 と声をかけてくれる利用者さんが、 「ふじたさんのこと、妹みたいに思ってるんよ。」 と、初めて教えてくれた。 そんな風に思ってくれているなんて、 すごく嬉しかった。だからあなたの声かけで、 私はすごく元気をもらえてるんですね。 それをそのまま伝えた。 すると、向こうも微笑んでくれた。 いつも何度でも、という歌に、こんな1節がある。 ♪海の彼方には もう探さない 輝くものは いつもここに わたしの中に 見つけられたから♪ これは「遠くへ行くな」ということではないよね。 遠くへ行くにも近くへ行くにもここに留まるにも、 何を見つけ、何を見逃すのか。 それらは全て、 「わたし」から始まるのだ、ということだろう。 今日の雷雲。濃淡や位置関係を思う。

早々とお引越しします。

自分の気持ちがしっくりくる場所を探していて、ブログをお引越ししました。ブログの名前も変えました。元ブログはこちら。 https://ameblo.jp/ayumuayumi/ あなたも、わたしも、傍にあるワクワクを発見できる1日でありますように。