枠や型にはまりたくないという願いから自由になった
昔、枠や型に嵌まりたくないと思っていた。
理由は、
その瞬間瞬間の自分の考え方や感じ方の幅が、
限定されてしまうように感じていたからだ。
この感覚は今もあまり変わってはいない、
昔、それを紐付けて、
心理学や哲学、宗教が嫌いだと感じていた。
でも違った。
様々な枠や型は、
世界に蔓延する様々な価値観のひとつであり、
それらを知り体得することで、
自分の知らなかった価値観を通して世界を見ることが出来るのだと分かった。
自分を狭めるのは、何かの価値観に囚われて、
かつ囚われていることに気付かないか、
囚われていることを甘んじている時だろう。
正しい間違ってるではなく、わたしはわたしを生きる。
でも、生きているなかで、
正しいだとか間違いだとかを述べるときもあるよ、正しいと間違いを述べるときは、
何かを比較している時。
その比較の基準、
誰がどのような目的で造った基準なのかを
注意深く見極める必要がある。
生きていくための智慧だったらいいんだけど、
この世界の命の法則だと思っていたら、うっかりと頭の回る人間の造った、数人が甘い汁を吸うための法則だったりするからね。
命をなくすよ、気を付けて。
時には、価値観と価値観が重なる箇所を
発見することもある。
それを普遍性と呼ぶのだろうか。
また、とある価値観では打破できない困難だと感じることでも、他の価値観では存在すらしていないと分かることも出来る。逆もしかり。
生きるための窓がたくさん開くし、
ただ開くのを待つだけじゃない、
自分で拓くことのできる人になる。
わたしはわたしを生きる。
コメント
コメントを投稿